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平和記念公園

 平和記念公園は広島市の中心部にある広大な公園で、世界の恒久平和を願って爆心地に近いこの場所に建設されました。園内には、原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館や世界遺産に登録されている原爆ドームや原爆死没者慰霊碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、広島国際会議場などがあります。平和への願いを込めて鳴らされる平和の鐘の音は、環境省が選んだ、残したい日本の音風景100選にも選ばれています。

 

平和記念公園
原爆死没者慰霊碑と原爆ドーム


平和大橋、西平和大橋

「平和大橋」、「西平和大橋」という名称は、「平和大通り」とともに、昭和26年(1951年)11月に一般公募によって決定されたものです。この平和大橋と西平和大橋の欄干は、アメリカの彫刻家イサム・ノグチ氏(1904~1988)が設計し、昭和27年(1952年)3月に橋が完成しました。


 イサム・ノグチ氏は、日本とアメリカという二つの祖国を持ち、激動の時代を生きながら、各所で数多くの著名な作品を残しており、モニュメント、庭や公園などの環境設計、家具や照明のインテリアから舞台美術まで、幅広い活動を行った世界的にも名高い芸術家として知られています。

 

1.「平和大橋の欄干」のデザインの由来

平和大橋の欄干について、イサム・ノグチ氏は、「設計の際、私は、建設の理念、すなわち新たに自己の生活を建設する者の特に再建広島の理念を伝えるものとすべきであると考えていました。従って、私は、建設を意味する名前をその橋に付けたいと思います。」と述べており、「つくる」と命名しています。

 イサム・ノグチ氏は、もともとこの橋を「いきる」と名付けていましたが、同じ時期に、「生きる」という映画が公開されていたため、「いきる」から「つくる」に変更したというエピソードがあります。

 

2.「西平和大橋の欄干」のデザインの由来

 西平和大橋の欄干について、イサム・ノグチ氏は、「出離の理念、すなわち「人生よさらば」広島がその記念となった悲劇の経験よさらばということを伝えるべきものと考えます。」と述べており、離別の理念をもって「ゆく」と命名しています。

 イサム・ノグチ氏は、もともとこの橋を、東側の平和大橋の「いきる」という命名に対して「しぬ」と名付けていましたが、平和大橋の名称を「いきる」から「つくる」に変更した際に、西平和大橋も「しぬ」から「ゆく」に変更したというエピソードがあります。

 

※ 上記の内容については、広島市が財団法人イサム・ノグチ日本財団と協議し、作成したものです。

 

平和大橋
平和大橋
西平和大橋
西平和大橋


袋町小学校平和資料館

 爆心地から460メートルの位置にある広島市立袋町小学校(当時袋町尋常高等小学校)は、原爆によって大きな被害を受けました。当時、多くの児童は集団疎開や縁故疎開により被災を免れましたが、残っていた百余名の児童、そして教職員のほとんどが一瞬にして命を失いました。木造校舎はすべて倒壊・全焼し、唯一鉄筋コンクリート造だった西校舎だけが外郭のみ原型をとどめ、避難場所や救護所として、児童・教職員や地域の人々の安否を尋ねる場となりました。人々は、床に散らばるわずかなチョークで、焼けた壁に伝言を記しました。授業が再開されたのは、昭和21年(1946年)5月でした。


 平成14年(2002年)、老朽化した校舎の建て替えに伴い、被爆した西校舎の一部が袋町小学校平和資料館として保存されました。「伝言」の書かれた内壁の一部をはじめ、残された貴重な被爆資料を展示するとともに、被爆後の学校の様子を紹介しています。

 

袋町小学校平和資料館(被爆建物)
袋町小学校平和資料館(被爆建物)


頼山陽史跡資料館

 江戸時代後期の日本を代表する文筆家頼山陽に関する資料や、芸備の近世文化に関するさまざまな資料を展示・公開、調査・研究を行っています。頼山陽の年表・エピゾードなどを紹介する常設展示に加えて、「現代刀」や「ひな人形」などを始めとする年間4回程度の特別展も開催しています。


 広島藩を脱藩し連れ戻され、邸内の居室に幽閉された頼山陽がこの時に「日本外史」の草稿をまとめたと言われる当時の居室は、国の史跡に指定されていましたが、被爆により消失しました。現在の居室は1958年(昭和33年)に、広島県によって復元されたものです。

 

頼山陽史跡資料館
頼山陽史跡資料館


広島市役所旧庁舎資料展示室

 1889年(明治22年)、市制町村制により全国初の市の一つとして誕生した広島市。


 1928年(昭和3年)には、市政の増大と老朽化のため中島新町より現在の場所に移転。ヨーロッパ近代建築様式を取り入れた、地下1階、地上4階建ての庁舎が完成しました。クリーム色の外観には控えめながらも装飾が施され、4階の迫り出した部分を支える10本の柱が露出した、掘りの深い建物でした。爆心地から1.02キロメートルで被爆。周辺の猛火により延焼を免れることはできませんでした。


 新庁舎建設にあたり、被災の痕跡のある正面玄関の石段や敷石は、メモリアルスペースとして、また、原爆被災時に配給課倉庫として使われていた地下室は、旧庁舎を中心とした被爆の実相を後世に伝える、被災の記録に関する資料等の展示室として改修・保存しています。

 

広島市役所旧庁舎資料展示室
広島市役所本庁舎前の地下にある旧庁舎資料展示室


白神社

 御際神は、菊理姫神・伊邪那伎神・伊邪那美神・天照皇大神等を祀り、古来(600年以前)現在の社殿の建つ岩上を祠を祀り、白い御幣を捧げ神々を祭っていました。毛利輝元公の時(1600年頃)広島城築城に先駆け、大きな社殿が建立され、「白神大明神」と称しました。昭和20年(1945年)8月6日原子力爆弾が上空にて炸裂し、社殿・大鳥居等悉く消失、昭和20年以前の石造物、狛犬・常夜灯は現在、広島原爆遺跡に指定されています。現在の社殿は昭和63年(1989年)に再建されたものです。

 

白神社
春の白神社


旧国泰寺愛宕池

 国泰寺の前身である新安国寺(しんあんこくじ)は、文禄3年(1594年)に、不動院の前身とされる牛田の安芸安国寺の住職であった恵瓊(えけい)が建てたと言います。彼は毛利輝元の片腕として活躍し、豊臣秀吉の信任も厚く、秀吉から六万石の領地を与えられたほどの人物でした。しかし、慶長5年(1600年)に関が原の戦いで西軍が敗れると、恵瓊は首謀者の一人として処刑され、毛利氏は萩へ移されます。替わって広島に来た福島正則は、弟の普照(ふしょう)を新安国寺に招き、寺号も国泰寺と改められました。


 福島氏の後を継いで広島藩主となった浅野氏は、出身地の紀州から僧侶を招いて住職とし、ここを菩提寺として大切にしました。たとえば三代藩主綱晟(つなあきら)は、400石もの寺領を与えています。このような藩主の保護のもと、国泰寺は藩内140寺の中心となる大寺となり、境内の広さも1町7反(約130m四方)に及んだと言います。


 この国泰寺は、広島築城当時の海岸線付近に位置していました。境内の愛宕池は、潮の干満によって見え隠れしていた岩を巧みに利用して造られています。「愛宕池」の名は、池のそばに国泰寺の鎮守社(ちんじゅしゃ)愛宕堂があったためと言われていますが、今ではその跡と思われる彫り込みが岩に残っているだけです。またこの岩は、岩盤が露出したもので、白神社の岩礁(がんしょう)と地下でつながっていると言われています。


 昭和53年(1978年)、国泰寺は西区己斐に移転しましたが、その面影をとどめ、広島城下町誕生当時の遺構をそのまま伝えるものとして、この愛宕池は、貴重な存在です。

 

愛宕池
緑陰にある愛宕池


移動演劇さくら隊殉難碑

 桜隊は、戦争末期、軍隊や工場などの慰問公演のために広島を拠点に活動し ていた9人編成の移動劇団でした。隊員は堀川町(現在の新天地。爆心地から750メートル)の宿舎で被爆し、うち5人が即死しました。ほかの4人は東京などに逃れましたが、月末までに全員が死亡しました。


 戦後、ゆかりの新劇人らによって被爆場所に近い現在地に碑が建立されました。碑の背面には、犠牲者9人の名前が刻まれています。


 桜隊を描いた作品として、『さくら隊散る』(新藤兼人監督・1988年公開)などがあります。

 

平和大通りにある殉難碑
平和大通りにある殉難碑

■原爆関係の慰霊碑等について

  市内各地に点在する原爆関係の慰霊碑や記念碑は、原爆被害を受けた各地域や学校、職場等に関わりのある方々が、原爆犠牲者への慰霊、平和への祈りなどの思いを込めて設置されたもので、それぞれ大切な意味を持っています。

 市内にある原爆関連の慰霊碑等の概要について、詳しくは広島市のホームページに掲載されています。これらの情報を平和学習などの資料として、ぜひご活用ください。

平和記念公園
写真中央は、原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)


広島市現代美術館

 日本初の公立現代美術館として平成元年に開館しました。建物は建築家・黒川紀章氏の設計によるもので、広島市内を見渡せる小高い山・比治山内に位置し、自然や眺望が楽しめます。


 催しでは企画展のほか、1,500点以上の所蔵作品を紹介するコレクション展、また ワークショップ、講座に加え、アーティストの生の声を聞けるトークなどを開催し、さまざまな現代美術の楽しみ方や魅力を紹介しています。展示解説や託児など、観覧時のサービスも充実しています。


営業時間 :10:00〜17:00(入館は16:30まで)


定休日: 月曜日(ただし月曜日が祝休日か8月6日にあたる場合は開館し、その翌平日休館)、12月27日〜1月1日

 

広島市現代美術館
広島市現代美術館(建物の設計は黒川紀章)


広島市まんが図書館

 漫画の歴史をたどりながら漫画を楽しむことのできる図書館です。まんがとその関係資料を体系的に収集、整理および保存し、合わせて約13万冊を所蔵しています。


 代表的なまんがやまんが雑誌、そしてまんが研究のための豊富な資料が閲覧、貸出可能です。 また、まんが文化の発展を目的として、各資料の提供に加え、展示や講座など行事も開催しています。

  平成10年度からはプロ・アマ・世代を問わない作品発表の場である「おもしろその年まんが大賞」コンテストを実施しています。
 

 図書館の周辺は桜の名所として有名です。


営業時間:10:00〜17:00


定休日:毎週月曜日(8月6日に当たるときは開館。また、月曜日が祝日法の休日に当たるときも開館)、祝日法の休日の翌日(ただし、その日が土・日・月曜日・休日に当たるときは、その直後の平日)、図書整理日(奇数月の末日。ただし、その日が土・日・月曜日に当たるときはその直前の金曜日)、年末年始、特別整理期間

 

広島市まんが図書館
広島市中央図書館の分館である「まんが図書館」は南区比治山公園にある